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運の雲 その2 – 運の良し悪し –

運を間近で見ようとしても、何も見つかりません。けれど世界をもう少し広い視点で眺めてみると、「運」と呼べそうなものがそこら中にふわふわと漂っていることに気づきます。

もし運というものが存在するとして、それが「良い」とか「悪い」とか言われるのは、いったいどういうことなのでしょうか。

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たとえば──

お腹がすいたなぁと思いながら街をぶらぶら歩いていたら、突然雨が降ってきた(運が悪い!)。

雨宿りした軒先で「ピザ食べ放題・タイムサービス!」という看板を見つけた(運が良い!)。

夢中になって食べたらお腹が痛くなった(運が悪い!)。

けれど「ピザ2400グラム完食!当店新記録ですのでお代は無料です!」と言われた(運が良い!)。

病院に行くと「今回は食べすぎのようですが、レントゲンで胃に小さな影が見えますね」と言われ、手術することに(運が悪い!)。

結果として胃の腫瘍が早期発見され、大事には至らなかった(運が良い!)。

……が、手術のせいで楽しみにしていた友人とのピザ屋巡りツアーには参加できなかった(運が悪い!)。

この日街をぶらついたことは、果たして自分にとって運が良かったのか、悪かったのか──?

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この出来事を「どこからどこまで切り取るか」によって、判断はまったく変わってきます。もしこの話がさらに続いていくのだとしたら、運の良い・悪いは一体どの段階で決まるのでしょうか?

ある預言者が「1999年の7月、人類は滅亡する!」と予言したとします。それは人類にとっては最悪の出来事でしょう。けれど、人類が滅んだあとに繁栄する昆虫たちにとっては最高の出来事かもしれません。別の惑星の生命体からは「宇宙ヨゴスヤツラ イナクナテ スッキリ」と思われ、わずかに生き残った人類からも「今みんな仲良しだよね。こんなことになっちゃったけど、一旦滅んで良かったのかもね」になるかもしれないのです。

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ある立場から、ある価値観で、ある時点において観察された良い・悪いの判断は、ほんのわずかな条件の違いで、ぐるんと逆転してしまいます。

人生に降りかかる出来事に運、ツキ、流れといったものが存在するかは分かりません。けれど、その出来事を受け止める人の心には“陰”と“陽”の状態があり、心のあり方によって状況の捉え方は変わります。(たとえば「コップに水が半分しかない」と思うか、「半分もある」と思うか、のように。)

水が流れるとき、地形に合わせて形を変えるように、「運」もまた、その人の心の形に沿って流れていく。だから自分が“良い状態”を望めば、運は自分を通り抜けるとき、その望む形に変わっていくのかもしれません。

どんな理不尽なことが起こっても、それを前向きに受け止め、すべてを「運が良い!」にしてしまえたら──

きっと、最高に楽しい人生になります!

運の雲 その1 – 運は星座 –

運、ツキ、流れ。
勝負事、特に麻雀をしていると、しょっちゅう耳にする言葉です。

世界は「ツキや流れがある派」と「そんなものはない派」に分かれ、長い間さまざまな議論が交わされてきました。現時点でどちらが正しいのかを結論づけるのは難しいですが、もし仮に「運」や「流れ」が本当に存在するとしたら──いくつもの疑問が浮かんできます。

それはどんな原理で人に降り注ぐのか。
宇宙に存在する“運の総量”は一定なのか。
それとも変動し、あるいは枯渇することもあるのか。
一人の人が一生のうちに享受できる量は決まっているのか。
自分の意思で他人に分け与えることはできるのか。
もし分けたら自分の運は減るのか、それとも宇宙からのご褒美でさらに増えるのか──。

こうした謎について考えを巡らせることは、想像力を大いに刺激してくれます。他の人の「運」に対する考えを聞くのも、新鮮で楽しいものです。

だから私は、運や流れの存在を証明することはできないけれど、「そういうものがあったら、きっと素敵だな」と思ってしまうのです。

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運はコンステレーション、星座。

私には「これこそが運だ!」と断言することはできません。けれど、もし感じていることを言葉にするなら、

「本来は意味を持たない出来事に、人間が意味を与え、それを“運”と呼んでいる」
──そんな気がします。

北の夜空に輝く北極星は、偶然にも地球の自転軸の延長線上に位置しているため、“動かない星”として認識されています。しかし他の星、たとえば冥王星から北極星を見れば、ギュンギュンと動き回って見えるでしょう。そのとき冥王星の空には、まったく別の星が「冥王星の北極星」として輝いているはずです。

もちろん北極星自身は、自分がこぐま座のしっぽを構成していることも、地球の人々に“動かない星”として航海の目印にされていることも知りません。さらに、こぐま座を形づくる他の星々は互いに数百光年も離れており、「こぐま座クラブ」のようなつながりを持っているわけでもありません。遠い地球の人間が、「あれはこぐまの形に見えるから、こぐま座と呼ぼう」と決めただけのことです。

☆☆☆

でも、だからといって「こぐま座が存在しない」というわけではありません。

ある視点から、ある距離で空を見上げたとき、いくつかの星が“こぐま”のように見える──それは確かに存在する事実です。

この広大な宇宙の中で、地球という一点から、この角度、この距離、この瞬間にだけ、私たちは“こぐま”を見出すことができるのです。